脱乾漆


乾漆像の技法  脱乾漆

 脱活乾漆技法(だっかつかんしつぎほう)は中国から入った技法で、中国では「夾紵 

(きょうちょ)」、わが国では「𡑮像(即・ソク)」と呼ばれました。脱乾漆(だっかんし     つ)と呼ばれるようになったのは明治時代に入ってからのことと思われます。「夾紵」   とは,麻の一種のからむし(紵)を漆で貼り重ねる技法という意味です。

「𡑮」は、ふさぐという意味で、布貼りを意味します。脱乾漆は脱活乾漆の略称で、漆を

  乾かし(乾漆)土を抜いて(脱)造る(活)というそれぞれの意味をあわせた名称と

  考えられます。

  脱乾漆像は、心木に塑造で概形を造り、その上に漆や布海苔などで麻布を貼り重ね、乾き

  固まった後に、刃物などで背中に窓を空け、心棒とともに内部の塑土を除去します。

  中に新たに補強の心棒や棚板を入れ、縫合したあと、縫合部分に布を貼ります。

  こうして出来た張り子の像の表面に、麦漆(漆に小麦粉を混ぜたもの)に木粉(木屎)を

  入れて練った木屎漆(こくそうるし)を竹ベラで盛り付けて細部の造形をします。

  体幹部はこの張り子で造形しますが、手首などの細い部分は、木を心にした木心乾漆(も   くしんかんしつ)造りで造形し、指先や天衣などの細かい部分は鉄線を心にして木屎漆を

  盛っています。

  仏像の場合、木屎漆での造形の後、砥の粉と漆を練った錆漆(さびうるし)で

  硬地(かたじ)をつくります。

  錆漆による下地塗りが乾いたら砥ぎ、また塗って砥ぎを数回繰り返し、最後に漆を塗って

  固めたものです。

  彩色は硬地の上に岩絵の具を膠で塗り、金箔は漆で貼ります。

歴史

  中国では仏像制作が積極的に行われてきました。高度な漆文化を背景に、夾紵像は盛んに

  造られ唐代に入り頂点に達します。

  わが国でも、天平時代には仏教が盛んになりました。現在、日本に残る仏像の多くは木彫像

  ですが、8世紀前半の像は中央に木彫像の遺品がなく、その大部分が銅像・塑像・脱活乾漆

  像で占められています。

脱乾漆像の特徴

  脱乾漆像は漆を主な材料に使います。漆が固まるにはある程度の温度と湿度が必要です。

  木屎漆は一度にたくさん盛りすぎると、中が固まらずに膿んでしまうことがあるので、適度な

  量を盛っては乾かすことの繰り返しの作業になります。

  乾固したものは軽く、頑丈なことは脱乾漆像の大きな特徴です。

  仏教の中に行道という儀式があります。行道は釈迦の誕生日に仏像を山車に乗せて練り歩いたり
  仏像の面をつけて練り歩く儀式のことですが、丈夫で軽いことは行道に求められる基本的な

  要素でした。

  現在も残る貴重な乾漆像は、数多くの火災や戦禍の際に軽くて頑丈である事から、その度に

  持ち出されて、奇跡的に救出されたと考えられています。

木心乾漆

  乾漆像には二種類あり、脱乾漆像の他に木心乾漆像があります。

  脱乾漆像の麻布層を、像の概形を彫出した木彫におきかえた構造のもので、その上に木屎漆

  を盛って造形するものです。

  漆が高価なものであったことから、8世紀後半には、漆の量が少なくて済む木心乾漆技法が

  生まれました。どれだけ漆を節約するかが仏師達の目標になって行き、乾漆像は平安初期

  まで見られましたが、それ以降ほとんど造られなくなります。次第に木彫像が主流に

  なって行きます。